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夏になると、こんな声が増えます。
「眠れた気がしない」
「夜中に何度も目が覚める」
「朝になっても疲れが取れない」
睡眠時間は確保しているはずなのに、
寝起きが悪い。
その原因のひとつが、
深部体温にあります。
人の身体は、眠りに入るために
身体の内側の熱を外に逃がす必要があります。
ところが熱帯夜には、
その放熱がうまくいきません。
眠りのスイッチが入りにくくなり、
深い眠りへたどり着けないまま
朝を迎えることになります。
今回のコラムでは、
夏の睡眠が浅くなる理由を
生理学の視点から丁寧に解説します。
眠りは「体温が下がること」から始まる。
そのカギを握るのが、手足の血管拡張。
夜になると自然に眠くなります。
当たり前のように感じますが、
その裏では身体の中で
精密な準備が進んでいます。
眠りに入るには、
深部体温(core body temperature)
を下げる必要があります。
深部体温とは、
脳や内臓など身体の中心部の温度のこと。
夕方から夜にかけて緩やかに低下していきます。
これが「眠気」の生理学的な正体のひとつです。
では、深部体温はどうやって下がるのでしょうか。
鍵は手足にあります。
スイス・バーゼル大学の
Kräuchi(クロウチ)らは2000年、
18名の健康な成人男性を対象に
入眠前の体温変化を詳細に計測しました。
その結果、意外なことがわかりました。
寝つくまでの時間を
最も予測しやすかったのは、
深部体温でも、心拍数でも、
眠気を誘うメラトニンでもありませんでした。
「末梢-近位皮膚温度勾配(DPG)」、
つまり手足と体幹の皮膚温度の差
だったのです(Kräuchi et al., Am J Physiol, 2000)。
夕方になるとメラトニンの分泌が始まり、
手足の末梢血管が拡張します。
手や足に血液が集まり皮膚温度が上昇することで、
身体の内部から外へ熱が放散され、
深部体温が低下します。
この「熱を外に逃がすプロセス」が、
最も顕著な眠りの準備だったのです。
更にKräuchiらの研究では、
就寝の1.5時間前から
このDPGの上昇が始まり、
DPGが大きいほど
速やかに眠りに入れることが示されました。
逆に言えば、手足が冷えて
末梢血管が収縮した状態では、
熱が逃げられず、
深部体温が下がらず、
眠りに入りにくくなります。
「手足が温かいと眠りやすい」という経験は、
科学的に正しいのです。
身体は眠るために内側の熱を外に放出しようとしています。
その「放熱の準備」が整ったとき、
はじめて眠りのスイッチが入ります。
次章では、夏の夜にこの仕組みが
どのように妨げられるかを見ていきます。
夜間気温が上がると、深部体温は下がりにくくなる。
その結果、眠りは遅くなり、短くなる。
第1章で見たように、
眠りに入るには
「熱を外に逃がすこと」が必要です。
ところが夏の夜、
とくに熱帯夜(最低気温25℃以上)になると、
この放熱のプロセスが妨げられます。
外気温が高いと、
身体の内側と外側の温度差が縮まり、
深部体温はなかなか下がりません。
眠りのスイッチが、入りにくくなります。
コペンハーゲン大学のMinor(マイナー)らは2022年、
世界68か国・4万7,628人のリストバンド型睡眠記録、
741万件のデータを
気象データと照合した研究を発表しました。
結果は明確でした。
夜間気温が上がるほど、
睡眠時間は短くなります。
その主な経路は入眠の遅延。
気温が高い夜ほど寝つくのが遅くなり、
全体の睡眠時間が削られていきます。
数字で見ると、その影響は無視できません。
夜間最低気温が25℃を超えると、
7時間未満の短眠になるリスクが、
10℃前後の夜と比べて
3.5ポイント高くなります。
夏季はその影響が最も大きく、
同じ1℃の気温上昇でも
冬季の約3倍の睡眠損失をもたらすとされます
(Minor et al., One Earth, 2022)。
また同研究では、
気候変動が続いた場合、
2099年までに夜間気温の上昇だけで
1人あたり年間50〜58時間の睡眠が
失われると試算されています。

この影響は、すべての人に均等ではありません。
高齢者、女性、
低所得国の居住者ほど
気温による睡眠損失が大きいことも
示されています。
体温調節の余力が少ないほど、
夏の夜は眠りを奪いやすいのです。
「夏は眠れない」は気のせいではありません。
深部体温が下がれない夜が続くことで、
眠りに入るまでの時間が延び、
睡眠の総量が減っていきます。
次章では、この「熱帯夜」が
身体にどのような影響を与えるかを見ていきます。
身体を冷やして眠ると、深い眠りが増える。
寝室が暑いままでは、夜間の回復が妨げられる。
第2章では、夜間気温の上昇が
眠りを短くすることを見ました。
では、眠れたとしても、
暑い寝室の中では
「眠りの質」はどうなるのでしょうか。
ベルリン・シャリテ大学のHerberger(ヘルベルガー)と
バーゼル大学のKräuchiらは2024年、
ベルリン・トリノ・シカゴの3施設で
72名を対象に実施した多施設研究を発表しました。
通常のマットレスと
熱容量の高い冷却マットレスで眠る夜を比較した実験です。
冷却マットレスで眠った夜は、
就寝中に身体から熱が緩やかに奪われ、
深部体温が通常より低く保たれました。
その結果、
徐波睡眠(N3:最も深いノンレム睡眠)が
平均7.5分増加し、
さらに心拍数が平均2.36拍/分低下しました。
これは、統計的にも有意な結果として確認されています
(Herberger, Kräuchi et al., Sci Rep, 2024)。
徐波睡眠(N3)は、
身体の修復、免疫機能の維持、
記憶の整理に深く関わる睡眠段階です。
加齢とともに減少しやすく、
その欠如は認知機能低下の指標とも言われています。
この研究により、
身体を冷やして眠ることが、
この深い睡眠を増やすことが示されました。
一方、逆のことが起きるのが熱帯夜です。
オーストラリア・グリフィス大学の
O’Connor(オコナー)らは2025年、
65歳以上の高齢者47名を
オーストラリアの夏季(2024年12月〜2025年3月)に追跡しました。
就寝中の寝室温度とHRV(心拍変動)を
継続的に計測した観察研究です。
HRVとは心拍のゆらぎのことで、
副交感神経の活動を反映する指標です。
この値が高いほど、
身体が深く休めている状態を示します。
結果は明確でした。
寝室温度が24℃を超えると、
HRVの低下リスクが上昇。
温度帯別に見ると、
24〜26℃で1.4倍
26〜28℃で2.0倍
28〜32℃で2.9倍
いずれも統計的に有意な結果です
(O’Connor et al., BMC Medicine, 2025)。
本来、睡眠中は副交感神経が優位となり、
心拍は穏やかになり、
身体は回復へと向かいます。
しかし寝室が暑いままでは、
その回復プロセスが妨げられます。
「眠れた気がしない」「疲れが取れない」という夏の朝。
その背景には、
深部体温が十分に下がらないまま迎えた夜と、
身体が回復できなかった睡眠があります。
次章では、こうした夏の睡眠の問題に対して、
鍼灸がどのようにアプローチできるかを考えます。

末梢循環を整え、熱の放散を助ける。
全身を温め、心が落ち着く環境の中で、眠りへの準備を促す。
ここまでは、夏の夜が身体に何をするかを見てきました。
ここからは、その流れを変えるための話です。
夏の夜に眠りが浅くなる背景には、
大きく2つの問題があります。
①深部体温が下がりにくい
②眠っている間の身体の回復が妨げられる
鍼灸は、この2つに働きかけることができます。
なぜ、温めることが放熱につながるのでしょうか。
Kräuchiらが示したように、
眠りの準備には手足の末梢血管拡張が必要です。
手足に血液を集めることで、
身体の内側から外への熱の放散が起きます。
それにより深部体温が下がり、
眠りへの入口が開かれていきます。
室温は下げる、身体は温める。
それが、当院の考え方です。
一見矛盾しているように見えますが、
どちらも「熱を外に逃がすため」の
同じ方向を向いたアプローチです。
当院では鍼灸・灸・手技を組み合わせ、
全身の血流を整えることを施術の中心に置いています。
冷えて滞った末梢循環を改善することが、
深部体温の放熱を自然に助けます。
もうひとつ、大切にしていることがあります。
身体だけでなく、
「心の緊張が解けていること」も
眠りへの準備には欠かせません。
静けさ、間合い、
過剰な刺激を持ち込まない空間。
施術を受ける時間そのものが、
緊張を緩め、
身体が眠りへ向かう準備を整える場になるよう
意識して設えています。
Kräuchiらの2024年の研究が示したように、
身体が適切に冷やされることで
徐波睡眠(N3)が増加します。
全身の循環を整え、
心が落ち着いた状態をつくることは、
この「身体が冷える条件」を
自然な形で整える助けになります。
薬剤や機器に頼らず、
身体本来の放熱メカニズムを
引き出すアプローチです。
眠れない夜が続いているとき、
その背景に何があるのかを丁寧に確認しながら、
身体が眠りへ向かえる状態を
一緒に整えていきます。
「夏は眠れない」と感じているなら、
それは気のせいではありません。
深部体温が下がれない夜、
身体の回復が妨げられる夜が
積み重なっています。
眠りの問題には、必ず理由があります。
その理由を知ることが、
最初の一歩です。
眠りの問題は、ひとりで抱え込まなくて大丈夫です。
気になることがあれば、
いつでもご相談ください。
出典・参考(抜粋)
・Kräuchi, K., Cajochen, C., Werth, E., & Wirz-Justice, A. (2000) American Journal of Physiology.
・Minor, K., et al. (2022) One Earth.
・Herberger, S., Kräuchi, K., et al. (2024) Scientific Reports.
・O’Connor, F. K., et al. (2025) BMC Medicine.
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